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関東一の水祭り「寄居玉淀水天宮祭」リポート

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「関東一の水祭り」呼ばれる「寄居玉淀水天宮祭」が8月3日開催された。

埼玉県指定の名勝「玉淀」の下流で発見された水神様を水天宮として祭り、水難よけや安産、子育てなどを祈願して1931(昭和6)年に始まった。

天気は晴れ。装束をまとった宮司や神主と共に、寄居町町長、商工会長、寄居町観光課長、実行委員会、水天宮管理者、寄居町6町区の区長、親行事(総代)などが玉淀水天宮に集まった。宮司が祝詞を上げ、玉串奉てんと祭事は続いた。年番町は本町区、親行事は寺田幸生さん。参列した6町区は中町区、栄町区、武町区、茅町区、花町区。

河原の奥の院に宮司や神主、区長、親行事が向かい祭事を行った。

今年は「水天宮de体験&楽しみ隊」という寄居玉淀水天宮祭の体験型ツアーの参加者募集し、町内外からボランティアが集まった。中にはアメリカやオーストリアなど海外出身者の参加もあった。ボランティアの主な仕事は舟山車の装飾で、ちょうちんや紙の花を飾り付けた。町民男性は「ボランティアのおかげで例年より30分ほど早く作業が終わった。炎天下の作業だったのでありがたい」と話した。

祭り協力隊との昼食中、本町区の男性たちが夕方の祭りまでの間に、纏(まとい)の使い方を披露した。寺田さんは「最初の纏はケシの実と枡の象徴。「消します」にかけた。火を消すために、火の向かう方向のものを壊した。今は祭りを取り仕切る6町区も昔は火消しも担当していた」と話した。

昼食後には御神体をみこしに移す作業。みこしの担ぎ棒は祭り当日朝の祭事の後、とび職の人が縄でしっかり固定した。

祭り協力隊に参加した女性は「昔はみこしを担ぐのは男性だけだったが人員不足で今は男女が一緒に担ぐと地域の人に聞いた。みこしに参加したオーストリア人男性は身長が180センチほどあり、肩の位置が他の担ぎ手より高く肩に負担はかかったが何度もみこしを担いでいた。同じくみこしに参加したアメリカ人女性は150センチほどの身長のため、肩にみこしがつかず、手で担いでいた。それでもみこしを仲間で交代しながら楽しく担いで、玉淀河原に到着した時はホッとした。貴重な経験をさせてもらって、町の人とも関われて忘れられない思い出になった。また来年も参加したい」と話した。

夕方、町内を練り歩いたみこしは、祈とう後に舟に載せられる頃、辺りは段々と暗くなり、舟山車一艚に400個ほどあるちょうちんが明るく浮かび上がった。

寄居玉淀水天宮祭と同時開催された花火大会は、花火と5艘の舟山車が競演。鉢形城跡を背景に打ち上げられる花火と舟山車が明るく夜空を照らし、恒例のナイヤガラは観客を沸かせた。

花火が終わると、みこしは水天宮へ戻った。茨城県の出身である本町区親行事寺田さんは「20代で寄居町を訪れ、荒川の風情を気に入り、ここに住みたいと思った。その後、偶然、妻の出身が寄居だったため寄居に住むことになった。祭りが好きで、特に本町区のみこしが好きだった。ちょうど土地を手に入れることができて本町区に住んで本町区の神輿本町に住むことになった。孫の代くらいで親行事になれたら良いと思っていたが、今回自分が抜てきされた。本町区の親行事の任期は2年。1年目の今年は水天宮の当番町親行事を務め、来年は塗り替えた色鮮やかな山車で春と秋の祭りを行い、勤めを終える。花火の奉納は、今年は52団体に増え、打ち上げた花火はおよそ5200発。人出は6万人に及んだと聞いている。貴重な機会に巡り逢えて光栄でありがたい」と話した。

水天宮の縁日は毎月「五」の日であるというので、最初の大祭を1931(昭和6)年8月5日に挙行した。現在は8月の第1土曜日に行われている。

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